A Morning Just Before Submission

Publish a Paper IV − A Morning Just Before Submission
梅雨の雨音は、夜の静けさをなぐさめてくれる。診療の後、私たちはパソコンに向かう時間をとることが多い。今夜も私は、モニターに映る原稿を眺めていた。
机の上には、論文と調査票が無造作に散らばっている。 紙ナプキンに書かれたメモのそばに、ルービックキューブがそっと置かれている。冷めかけたコーヒーに手を伸ばした。
書いては止まり、 止まっては、また戻る。
「背景」
論文の冒頭に置かれるこのセクションでは、多くの論文が著者名とともに引用される。それはきっと私と同じ空間で書かれたものだ。
「本研究の目的は―」
こんなに短い一文に、こんなにも多くの意味が乗ることを、今の私は知っている。
目的は、個人のものじゃない。研究仮説というフォーマットで、普遍的に共有できるように開かれていなければならない。それは私がどの地点から世界を眺め、どんな方向へ歩こうとしているのかを、そっと誰かに手渡すような行為だ。
次に目が留まる。
「方法」
一番時間が掛かった節だ。自分がこれまで行ってきたことを文章にすればいいだけなのに、知らない誰かに、一から正しく伝えることは難しい。当然と思って見落としていたことを補わなければならない。共有され、一意に決まる言葉を選ぶ必要もある。
書いては直し、読み返しては直す。この時間を、私はきらいではない。
「本研究の主な結果は―」
そこに置かれた数字も、以前とは違って見えた。数字は、患者さんに何が起きたかを記録したもの。同時に、世界への問いかけに返ってきた答えでもある。
私たちは、よい診療をしてきたのだろうか。 問い方が変われば、返ってくる数字も変わる。 並んでいるだけに見える数字は、実は多くを語っている。そのことを今では知っている。患者さんを対象にした研究だからこそ、仮説には医療の価値観が滲む。それは「正しいかどうかを知る」というより、「よりよい技術に近づくための知識を得る」という態度に近い。
たくさんのことが、仕事をしている間や、誰かとおしゃべりをしているときには、通り過ぎてしまう。ひとりになると、それがよくわかる。
コーヒーの水面が、窓の外の雨に合わせるようにかすかに揺れていた。モニターには、書き上げたばかりの結論が映っている。調査をデザインしたときに抱いていた疑問に、答えられているか。ひとつひとつ確かめる。
私は軽く頷き、 ゆっくりとキーボードを叩いた。
Acknowledgements ― We are grateful to an anonymous statistician for thoughtful advice.